「田﨑史郎さんって最近あまりテレビで見かけないような…?」
政治ジャーナリストの田﨑史郎さんといえば、『ひるおび!』や『羽鳥慎一モーニングショー』で政治解説をされていた姿が印象的ですよね。
でも、以前と比べると地上波テレビのレギュラー番組での出演が減ったように感じている方も多いはずです。
この記事で分かる事↓
✓ 田﨑史郎さんを最近見ない理由とは?
- 地上波のレギュラー出演は減少しているものの、完全引退ではありません
- 2026年も『ワイド!スクランブルサタデー』や『ミヤネ屋』にゲスト出演中
- ラジオやYouTubeでは今も精力的に政治解説を続けています
✓ 田﨑史郎さんの若い頃ってどんな人だった?
- 福井県出身で、法律家を目指して中央大学法学部へ進学
- 学生時代は三里塚闘争に参加し、逮捕された経験も
- 若い頃の画像はほとんど公開されておらず、貴重な存在です
✓ 田﨑史郎さんの詳しいプロフィールは?
- 1950年6月22日生まれ、現在75歳(2026年3月時点)
- 時事通信社で45年間勤務し、解説委員長まで務められました
- 2018年にフリーランスとして独立後も活動継続中
実は、田﨑さんは現在75歳。長年にわたって日本の政治を最前線で取材してこられた大ベテランジャーナリストなんです!
それでは、田﨑史郎さんの「今」と「過去」について、詳しく見ていきましょう!
田﨑史郎を最近見ない理由は?現在の活動状況を徹底解説!
私も朝の情報番組を見ていて「あれ、田﨑さん最近出てないな」って思ったことがあるんですよね。
でも調べてみたら、実は今も現役で活動されていることがわかったんです!
ただし、活動のスタイルが少し変わってきているようなんですよ。
ここでは、田﨑史郎さんの現在の活動状況について、最新情報をもとに詳しくお伝えしていきますね♪
レギュラー出演から選別出演へのシフト
まず結論からお伝えすると、田﨑史郎さんは「引退」したわけではありません!
ただし、以前のように毎週決まった曜日にレギュラー出演するスタイルから、重要な政治局面でのゲスト出演中心のスタイルへと変化しているんです。
Wikipediaの情報によると、現在の出演状況は以下のようになっています。
田﨑史郎さんの現在の出演スタイル
| 出演形態 | 番組名 | 頻度 |
|---|---|---|
| 準レギュラー | ウェークアップ! (読売テレビ) | 不定期出演 |
| ゲスト解説 | ひるおび! (TBS) | 政治局面での出演 |
| ゲスト解説 | モーニングショー (テレビ朝日) | 政治局面での出演 |
| ゲスト解説 | ワイド!スクランブル サタデー | 不定期出演 |
| ゲスト解説 | ミヤネ屋 (日本テレビ) | 不定期出演 |
この表を見ると、かつてのような「毎週レギュラー」という形ではなく、「重要なタイミングでのゲスト出演」というスタイルになっていることがわかりますよね。
年齢的なこともあると思うんです。
1950年生まれの田﨑さんは、2026年3月時点で75歳。
早朝からの生放送番組に毎週出演するのは、さすがに体力的な負担が大きいという判断があったのかもしれません。
また、政権との距離感について視聴者から賛否両論の声が上がっていたことも、番組側が起用を慎重にしている理由のひとつとして考えられます。
特に安倍政権時代には「政権寄りの発言が多い」という批判もあり、番組によっては出演を控えるケースもあったようです。
でも、これは決してネガティブな理由だけではないと私は思います。
豊富な経験と人脈を持つ田﨑さんだからこそ、「ここぞ」という重要な場面で登場することで、より価値のある解説ができるという見方もできますよね♪
2026年も継続中!ゲスト出演の最新情報
「最近見ない」と感じている方に朗報です!
実は2026年に入ってからも、田﨑史郎さんはテレビ出演を続けていらっしゃるんですよ。
私が調査したところ、以下のような出演が確認できました。
- 2026年1月16日:『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)に生出演。立憲民主党と公明党による新党「中道改革連合」について解説
- 2026年1月17日:『ワイド!スクランブル サタデー』(テレビ朝日系)に出演。衆院解散を巡る自民党内の空気について語る
- 2026年2月28日:『ワイド!スクランブル サタデー』に生出演。初会合「国民会議」について解説
- 2026年3月2日:『ワイド!スクランブル サタデー』に出演。中道改革連合の動向について分析
この出演状況を見ると、特に『ワイド!スクランブル サタデー』には継続的に出演されていることがわかりますね!
土曜日の午前という時間帯は、平日の朝よりもゆとりを持って出演できるということもあるのかもしれません。
また、重要な政治イベント(総裁選、解散総選挙、新党結成など)のタイミングでは、やはり田﨑さんの解説が求められているようです。
長年の政治取材で培った人脈と洞察力は、他のコメンテーターにはない強みですからね。
つまり「最近見ない」というのは完全な誤解で、正確には「レギュラー番組での出演頻度が減った」というのが正しい表現なんです♪
ラジオ・YouTube・BS番組での活動状況
地上波テレビでの露出が減った一方で、田﨑史郎さんは他のメディアでの活動を充実させていらっしゃいます。
現在の主な活動媒体
①ラジオ番組
- ニッポン放送『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』(月~木曜 午後3時30分~)
- 定期的にゲスト出演されています
- 2025年5月26日には参院選について解説
- 2025年6月23日にも出演記録あり
②YouTube動画
- 政治系YouTubeチャンネルでのインタビュー企画に多数出演
- 「【田﨑史郎さんに聞く】激動の2025年、政治はどう動いた?」などのタイトルで配信
- 安倍総理との関係性や高市政権についても語っています
③BS番組
- BS朝日『激論!クロスファイア』などの専門性の高い番組に出演
- BS11『インサイドOUT』にも出演記録あり
ラジオは映像がない分、リラックスして深い話ができるという良さがありますよね。
実際、ラジオでの田﨑さんは、テレビとはまた違った角度から政治の舞台裏を語られることが多いんです。
また、YouTubeでの配信は時間の制約が少ないため、じっくりと政治状況を分析できる利点があります。
テレビの限られた時間では語り切れなかった内容も、YouTubeなら30分、1時間とかけて詳しく解説できますからね。
このように、田﨑史郎さんは「メディアの多様化」に合わせて、活動の場を広げていらっしゃるんです。
テレビだけを見ていると「最近見ない」と感じるかもしれませんが、実は様々なメディアで精力的に活動を続けていらっしゃるんですよ♪
田﨑史郎の若い頃の画像と記者時代のエピソード
ここからは、田﨑史郎さんの「若い頃」に焦点を当ててみましょう!
現在の白髪に眼鏡という紳士的なイメージからは想像できないかもしれませんが、実は学生時代には社会運動に参加して逮捕されたという波乱万丈な過去をお持ちなんです。
そんな田﨑さんの知られざる若き日々を、詳しく見ていきますね。
若い頃の画像が少ない理由と学生時代
田﨑史郎さんの若い頃の画像を探してみたことはありますか?
実は、インターネット上で公開されている田﨑さんの若い頃の写真は、ほとんど見つからないんです!
X(旧Twitter)では「『田崎史郎 若い頃』とググっても若い頃の画像が全然出てこない」というポストまであるほど。
若い頃の画像が少ない理由
これにはいくつかの理由が考えられます。
まず、田﨑さんが政治記者として活動を始めたのは1979年、29歳の頃です。
当時はまだデジタルカメラもインターネットもない時代。
記者は「取材する側」であって「撮られる側」ではなかったため、写真が残っていないのは自然なことなんですよね。
また、田﨑さんがメディアに登場するようになったのは、解説委員長に就任した2006年以降。
この時点ですでに56歳です。
つまり、私たちが知っている田﨑さんの姿は、すでに50代以降の姿なんです。
「若い頃の画像は公的なプロフィールやメディアインタビューで掲載されることは少なく、同時代の卒業アルバムや記念写真などの入手は難しい」という情報もあり、貴重な存在であることは間違いありません。
学生時代の田﨑史郎さん
画像は少ないものの、学生時代のエピソードはいくつか判明しています。
田﨑さんは1969年4月に中央大学法学部法律学科に入学されました。
当初は法律家を目指していたそうです。真面目な学生だったことが想像できますよね。
ただ、時代は1960年代後半から1970年代初頭。
いわゆる「学生運動の時代」です。社会の矛盾や不平等に疑問を抱いた多くの学生が、反体制活動に参加していた激動の時代でした。
田﨑さんもその流れの中で、社会問題に強い関心を持つようになっていったようです。
そして、その関心が次にご紹介する「ある事件」へとつながっていくことになるんです…!
三里塚闘争での逮捕という衝撃の過去
実は、田﨑史郎さんには「逮捕歴」があるんです!
これは本当に驚きですよね。現在、政権に近いコメンテーターとして知られる田﨑さんに、学生運動での逮捕経験があったなんて。
三里塚闘争への参加
Wikipediaによると、田﨑さんは大学2年生の時に「三里塚闘争」に参加されました。
三里塚闘争とは、現在の成田国際空港の建設に反対する住民と支援者による抗議運動のこと。
1960年代から1970年代にかけて、激しい対立が続いていました。
当時、法律家を目指していた田﨑さんが、なぜこの運動に参加することになったのか。
それは「社会の矛盾や不平等に疑問を抱き」、行動に移したからだと言われています。
凶器準備集合罪で逮捕、13日間の留置
田﨑さんは三里塚闘争への参加中、「凶器準備集合罪」で逮捕されてしまいます。
そして、なんと**13日間も留置(勾留)**されることになったんです。
13日間というのは、かなり長い期間ですよね。
その間、田﨑さんはどんな思いで過ごされたのでしょうか。
法律家を目指していた学生が、逮捕され留置されるという経験は、人生観を大きく変えるできごとだったに違いありません。
この経験が、のちに田﨑さんが記者の道を選ぶきっかけになったのかもしれません。
社会の仕組みを変えるには、法律家としてではなく、ジャーナリストとして真実を伝える方が自分に合っていると感じたのかもしれませんね。
若い頃の田﨑さんの意外な一面
この逮捕経験から見えてくるのは、若い頃の田﨑さんが「行動的で、社会に対して批判的な視点を持っていた」という事実です。
現在の田﨑さんは「政権寄り」と言われることもありますが、若い頃は全く逆の立場だったんですね。
人は経験を重ねる中で、考え方や立ち位置が変わっていくものなんだなぁと感じます。
この波乱万丈な学生時代が、のちの政治記者・田﨑史郎の原点になっているのかもしれませんね♪
時事通信社記者時代の波乱万丈な経歴
大学を卒業した田﨑史郎さんは、1973年4月に時事通信社に入社されます。
ただ、この記者人生も決して順風満帆ではありませんでした。むしろ、学生時代に引き続き、波乱に満ちたキャリアだったんです。
経済部配属から「左遷」へ
入社当初、田﨑さんは経済部に配属されました。
しかし1975年、浦和支局への異動を命じられます。
普通なら「異動」として受け入れるところですが、田﨑さんは違いました。
少数派の労働組合に所属していたことを理由にした「左遷」であり、「不当労働行為」だとして、なんと会社を提訴されたんです!
これも驚きですよね。
入社3年目の若手社員が、会社を訴えるなんて。
学生時代の三里塚闘争での経験が、「おかしいと思ったことには声を上げる」という姿勢につながっていたのかもしれません。
その後、3年3か月にわたる浦和支局勤務を経て、1979年に政治部へ異動することを条件に和解が成立。ようやく念願の政治部に配属されることになったんです。
政治記者としてのスタート
政治部に配属された田﨑さんは、いきなり大役を任されます。
なんと、当時の内閣総理大臣である大平正芳首相の番記者になったんです!
番記者というのは、特定の政治家に張り付いて取材をする記者のこと。
総理大臣の番記者というのは、政治記者にとって最も重要なポジションのひとつです。
その後、新自由クラブ、外務省担当を経て、1982年4月には田中角栄元首相が率いる田中派の担当記者に。
ここから田﨑さんの本格的な政治記者人生が始まります。
小沢一郎氏との深い関係と訣別
田中派担当になった田﨑さんは、当時若手議員だった小沢一郎氏と親しくなります。
「毎晩のように呑む間柄」だったと語られるほど、深い関係だったそうです。
ところが、1992年1月以降、小沢氏から突然、取材を拒否されるようになります。
理由は明確にはわかりませんが、田﨑さん自身は「自分の諫言を小沢氏が嫌った」「小沢氏の政敵・梶山静六氏と自分が親しかった」などを推測されています。
そして1994年10月、田﨑さんは『文藝春秋』に「小沢一郎との訣別」という記事を発表。
この記事で、小沢氏のオフレコ発言を公開してしまったため、大きな論争を巻き起こすことになります。
時事通信社からは2週間の出勤停止処分、給与と賞与の減額という処分を受け、ジャーナリストの櫻井よしこさんからは「記者失格」と厳しく批判されました。
でも、田﨑さんは「虚像ではなく実像を伝えたい」という思いから、この記事を書かれたそうです。
ここにも、若い頃からの「信念を貫く」という姿勢が表れていますよね。
こうした様々な経験を経て、田﨑史郎さんは政治記者として成長していかれたんです。
順調なだけでなく、時には批判を受けながらも、自分の信念を貫いてきた。
そんな姿勢が、今日の田﨑さんを作り上げたのかもしれませんね♪
田﨑史郎のプロフィール
ここからは、田﨑史郎さんのプロフィールを詳しくご紹介していきます!
基本情報から、これまでの華々しい経歴、そして気になる家族のことまで、確認できる範囲で詳しくお伝えしますね。
まずは、田﨑史郎さんの基本情報から見ていきましょう。
田﨑史郎さんの基本プロフィール
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 本名 | 田﨑史郎(たざき しろう) ※「﨑」は「たつさき」。一般的には「田崎史郎」と表記されることも |
| 生年月日 | 1950年(昭和25年)6月22日 |
| 年齢 | 75歳(2026年3月時点、誕生日前) ※2026年6月22日以降は76歳 |
| 出身地 | 福井県坂井郡三国町(現在の坂井市三国町) |
| 出身高校 | 福井県立藤島高等学校 |
| 最終学歴 | 中央大学法学部法律学科卒業(1973年3月) |
| 職業 | 政治ジャーナリスト、政治評論家 |
| 活動期間 | 1973年~現在(記者歴50年以上!) |
| 前職 | 時事通信社 解説委員長、特別解説委員 |
出身地・福井県三国町について
田﨑さんの出身地である三国町は、福井県の北部、日本海に面した港町です。
現在は坂井市に合併されていますが、歴史ある美しい町として知られています。
地元の名門・福井県立藤島高等学校を卒業された田﨑さん。
この高校は県内トップクラスの進学校で、多くの著名人を輩出しています。
田﨑さんも優秀な学生だったことがうかがえますね。
家族について
田﨑史郎さんは既婚者です。
奥様も同じ福井県のご出身だという情報があります。
もしかすると、高校時代からのご縁だったのかもしれませんね。
ただ、田﨑さんはご家族についてあまり公に語られることがなく、プライベートは大切にされているようです。
お子様がいらっしゃるかどうかなど、詳しい家族構成については公表されていません。
長年にわたって政治の最前線で取材を続けてこられた田﨑さん。
ご家族のサポートがあってこその活躍だったのではないでしょうか♪
政治記者としてのキャリアと主な実績
田﨑史郎さんの45年にわたる時事通信社でのキャリアは、まさに昭和・平成・令和の政治史そのものです。
時事通信社での主な役職と経歴
田﨑さんの時事通信社でのキャリアを時系列で整理してみました。
【キャリアの歩み】
- 1973年4月:時事通信社入社、経済部配属
- 1975年:浦和支局へ異動(本人は左遷と主張し提訴)
- 1979年4月:和解により政治部へ異動、大平正芳首相の番記者に
- 1982年4月:田中派(木曜クラブ)担当記者として平河クラブへ
- 1980年代〜1990年代:平成研究会を中心に政治取材を継続
- 1990年代:整理部長、編集局総務としてトータル8年勤務
- 2000年代:解説委員に異動
- 2006年:解説委員長に就任(この頃からテレビ出演が増加)
- 2010年6月30日:定年退職後、再雇用で勤務継続
- 2015年7月〜2018年6月:特別解説委員として活動
- 2018年6月末:内規の68歳に達し、時事通信社を完全退職
主な取材実績と人脈
田﨑さんが取材してきた主な政治家は以下の通りです。
- 大平正芳首相(1979年、番記者として)
- 田中角栄元首相(田中派担当として)
- 小沢一郎氏(田中派時代から深い関係)
- 安倍晋三元首相(特に親交が深かったことで知られる)
- その他、自民党の主要派閥を幅広く取材
田﨑さんの強みは、現場取材と解説の両方を極めた点にあります。
通常、政治記者は現場での取材活動に専念しますが、田﨑さんは整理部や編集局での編集業務も8年間経験されています。
この「現場と編集の両方を知っている」という経験が、わかりやすく的確な解説につながっているんですね。
また、解説委員長に就任してからは、テレビ出演が急増。
それまで新聞記者として活動していた田﨑さんが、一般視聴者にも広く知られる存在になりました。
時事通信社という通信社は、新聞社ほど一般の人には馴染みがないかもしれませんが、全国の新聞社や放送局にニュースを配信する重要な報道機関です。
その解説委員長というポジションは、まさに「政治報道のトップ」と言える存在だったんですよ♪
フリーランス転身後の現在の活動
2018年6月に時事通信社を退職した田﨑史郎さんは、フリーランスの政治評論家として新たなキャリアをスタートされました。
フリーランス後の主な活動内容
①テレビ出演(2026年現在)
- 『ワイド!スクランブル サタデー』(テレビ朝日系):不定期ゲスト出演
- 『ひるおび!』(TBS系):重要政治局面でのゲスト出演
- 『モーニングショー』(テレビ朝日系):ゲスト出演
- 『ウェークアップ!』(読売テレビ):準レギュラー
- 『ミヤネ屋』(日本テレビ系):政治解説でのゲスト出演
- 『めざまし8』(フジテレビ系):不定期出演
②ラジオ出演
- ニッポン放送『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』に定期的にゲスト出演
③BS番組・専門番組
- BS朝日『激論!クロスファイア』
- BS11『インサイドOUT』
- フジテレビ『ハッケン!!』(ご意見番として)
④大学での教育活動
- 駿河台大学客員教授(2019年1月15日就任)
- ※2024年2月時点で大学HPに名前がなく、退任時期は不明
⑤執筆活動
- 政治関連の著書執筆
- 雑誌への寄稿
- 自身が見聞きしたことに限定して執筆するという信念を持つ
⑥講演活動
- 全国各地での政治講演会に登壇
- 講演会社に所属し、企業や団体向けの講演を実施
安倍元首相との関係
フリーランス時代の田﨑さんを語る上で欠かせないのが、安倍晋三元首相との深い関係です。
2013年から2015年にかけて、田﨑さんは安倍元首相らと頻繁に会食をしていたことが知られています。
また、自民党の政党交付金から組織活動費名目で資金提供を受けていたこともありました。
このため、「政権の代弁者」「田崎スシロー」(寿司屋での会食が多かったことから)という批判的な愛称で呼ばれることもあります。
ただ、田﨑さん自身は朝日新聞の取材に対して、「たとえ代弁だと批判されても、政権担当者がどう考えているのかを伝えることが仕事」という旨の発言をされています。
賛否両論はありますが、政権中枢の考えを国民に伝えるという役割を果たしてきたのは事実です。
2022年7月に安倍元首相が亡くなられた後も、菅義偉元首相、岸田文雄元首相、そして現在の高市早苗首相(※2026年時点の仮定)の政策についても解説を続けていらっしゃいます。
現在75歳という年齢ながら、政治ジャーナリストとしての情熱は今も衰えていません。
活動のペースは調整されているものの、50年以上にわたって培ってきた経験と人脈を活かして、日本の政治を見守り続けていらっしゃるんですね♪
まとめ
田﨑史郎さんは「消えた」わけではなく、75歳の年齢に合わせて活動スタイルを調整しながら、今も現役で政治解説を続けています。
ここまでの内容をまとめます↓
■最近見ない理由
- 地上波テレビの毎週レギュラー番組から、重要政治局面でのゲスト出演へシフト
- 2026年も1月、2月、3月と『ワイド!スクランブルサタデー』に継続出演中
- 『ミヤネ屋』『ひるおび!』『モーニングショー』にもゲスト解説として登場
- ラジオ『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』には定期的に出演
- YouTubeでの政治解説動画、BS番組での専門的な解説も継続
■若い頃の画像と経歴
- 福井県坂井市出身、福井県立藤島高校→中央大学法学部卒業
- 大学2年時に三里塚闘争(成田空港建設反対運動)に参加し、凶器準備集合罪で逮捕、13日間留置
- 1973年時事通信社入社、1979年に政治部配属、大平正芳首相の番記者に
- 1982年から田中派担当、小沢一郎氏と親密な関係を築くも後に訣別
- 1994年『文藝春秋』で小沢氏のオフレコ発言を公開し、大論争に
- 2006年解説委員長就任、この頃からテレビ出演が増加
波乱万丈な記者人生が、今の田﨑さんを作り上げたんですね。
田﨑史郎さんは、約50年にわたって日本の政治を最前線で見続けてきた「生き証人」のような存在です。
「最近テレビで見ない」と感じていた方は、ぜひラジオやYouTubeもチェックしてみてください。
75歳という年齢を感じさせない、鋭い政治分析を今も聞くことができますよ♪

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